Otis Rush
オーティス・ラッシュ
- BORN: April 29, 1834, Philadelphia, Mississippi
1934年4月29日、ミシシッピ州フィラデルフィア生まれ - DIED: September 29, 2018, Chicago, Illinois
2018年9月29日、シカゴにて死去 - vocals guitar
オーティス・ラッシュは、ヴォーカリストとして、ギタリストとして、現代のブルースマンの最上位にランクされる。ところが、実力に反し、レコードは極端に少ない。56年から58年までにコブラ・レーベルに残した傑作シングルの数々は、表情豊かなエレクトリック・ギターと、パワーのあるヴォーカルによって、シカゴ・ブルースの新時代を告げた。ラッシュは左利きで、右利き用ギターをさかさまに抱えて使用する。だから、極めて個性を持った音を生み出すのだ。「アイ・キャント・クイット・ユー・ベイビー」や「オール・ユア・ラヴ」といった曲は、マジック・サムやバディ・ガイらと共にウエスト・サイド・スタイルと呼ばれるようになったサウンドの先頭に立っただけでなく、世界中の若いプレイヤーたちを刺激した。レッド・ツェッペリンやエリック・クラプトンがラッシュの曲をカヴァーし、スティヴィー・レイ・ヴォーンは、ラッシュの「ダブル・トラブル」を自らのバンドの名前にした。ラッシュはマイナーのスロー・ブルース形式流行のきっかけとなり、またラッシュのバンドはエレクトリック・ベースを使い始めた最初のブルース・バンドとなった。
ラッシュはミシシッピの田舎の出身で、教会で歌ったり、少しギターも弾いたりしていたが、生演奏を聴く機会はなく、兄とレコードから音楽を学んだ。1948年、14歳の時、家族でシカゴに引っ越すと、彼はマディ・ウォーターズやリトル・ウォルターを聴き始め、50年代前半までに、クラブでブルースを演奏するようになっていた。だが、しだいにB.B.キングなどの新しい単弦奏法の影響を受けるようになり、ケニー・バレル、ジョージ・ベンソンのレコードも勉強。ジャズ・ギタリスト、レジー・ボイドのレッスンにも通った。ラッシュはウエスト・サイドに本拠を置くコブラ・レーベルと契約。しかし、コブラの社長イーライ・トスカーノは賭博師で、アーティストたちの金を使い果たし、借金を抱えた。レーベルは倒産し、トスカーノは犯罪組織に殺されてしまう。R&B界のトップ・スターになるはずだったラッシュの人生に、その後暗雲が現れる。コブラでラッシュのヒット曲を書いたプロデューサー、ウィリー・ディクソンがラッシュをチェス・レコードへ連れていったが、シングル「ソー・メニー・ローズ、ソー・メニー・トレインズ」がリリースされただけ。デュークに移籍したが、そこでも発表されたのは62年の「ホームワーク」というシングル1枚だけだった。65年の終わり、ヴァンガード・レコードの『シカゴ/ザ・ブルース/トゥデイ!』のために5曲をレコーディング。白人聴衆に注目されるようになり、運が向いてきたかに見えた。しかしアトランティック傘下のコテリオンから出たラッシュ初のアルバムは、ひどいプロデュースだと批判される(プロデューサーはラッシュを尊敬する白人、エレクトリック・フラッグのマイク・ブルームフィールドとニック・グレイヴナイツだった)。セカンド・アルバムは悪くない内容だったが、なぜかキャピトルが発売を見合わせ、5年後に小規模レーベルから『ライト・プレイス・ロング・タイム』というタイトルでリリースされるまで陽の目を見なかった。その後、彼の音楽活動は長い停滞期に入る。会社に振り回され、疑い深くなったラッシュのスタジオ盤は、1977年にソネットから出したアルバム(CD化の際、ラッキー・ピータースンのキーボードがダビングされた)以後、94年の『エイント・イナフ・カミン』まで17年間リリースされなかった。そして遂に幸運が彼のもとにやってきた。98年『Any Place I'm Going』でグラミー賞を受賞。ラッシュはいつもその非凡な才能を発揮してくれるわけではないが、ハマった時は、心を引き裂くようなエモーショナルなヴォーカル、センセーショナルなギター・ソロを聴かせてくれる。
Recordings
- circa July 1956, Chicago, Illinois
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- I Can't Quit You Baby - @YouTube
- I Can't Quit You Baby (take unknown)
- I Can't Quit You Baby (take 3)
- Sit Down Baby - @YouTube
- Sit Down Baby (take unknown)
- Sit Down Baby (take 2)
- Sit Down Baby (take unknown)
- Little Red Rooster
- Autumn 1956, Chicago, Illinois
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- Violent Love
- Violent Love (alternate take)
- My Love Will Never Die
- My Love Will Never Die (alternate take)
- My Love Will Never Die (take 4)
- My Love Will Never Die (take 7)
- early 1957, Chicago, Illinois
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- Groaning The Blues
- Groaning The Blues (take unknown)
- Groaning The Blues (take 3)
- If You Were Mine
- mid-1957, Chicago, Illinois
- late 1957, Chicago, Illinois
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- Three Times A Fool
- Three Times A Fool (take unknown)
- She's A Good 'Un
- She's A Good 'Un (take 4)
- She's A Good 'Un (take unknown 1)
- She's A Good 'Un (take unknown 2)
- 1958, Chicago, Illinois
- 1958, Chicago, Illinois
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- Double Trouble
- Double Trouble (take unknown)
- Double Trouble (take 3)
- Keep On Loving Me Baby - @YouTube
- Keep On Loving Me Baby (take unknown 1)
- Keep On Loving Me Baby (take unknown 2)
- Keep On Loving Me Baby (take unknown 3)
- All Your Love (I Miss Loving) @YouTube
- My Baby's A Good 'Un
- January 30, 1960, Chicago, Illinois
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- So Many Roads
- I'm Satisfied
- So Close
- All Your Love
- I Won't Be Worried No More
- Ooh Wee Baby
- September 29, 1960, Chicago, Illinois
- September 6/7, 1962, Chicago, Illinois
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- Home Work
- I Have To Laugh
- December 28/29, 1965, Chicago, Illinois
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- Everything's Going To Turn Out Alright
- It's A Mean Old World
- I Can't Quit You Baby
- Rock
- It's My Own Fault
- May 20, 1966, Chicago, Illinois
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- It's Hard For Me To Believe, Baby
- May Be The Last Time
- I Feel Good
- Otis' Blues
- October 5, 1966, American Folk Blues Festival, Germany
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- I Can't Quit You Baby
- October 16, 1966, American Folk Blues Festival, East Berlin
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- All Your Love
- My Own Fault (Sweet Little Angel)
- It Takes Time
- February 17, 1969, Muscle Shoals, Alabama
Influences
影響関係
Infl by: B.B. King, Kenny Burrell
受けた影響←B.B.キング、ケニー・バレル
Infl to: Stevie Ray Vaughan
与えた影響→スティーヴィー・レイ・ヴォーン