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J.B. Lenoir
J.B.ルノアー

  • BORN: March 5, 1929, Monticello, Mississippi
    1929年3月5日、ミシシッピ州モンティセロ生まれ
  • DIED: April 29, 1967, Urbana, Illinois
    1967年4月29日、イリノイ州アーバナにて死去
  • vocals guitar harmonica

ピッチの高いヴォーカル、ユニークな曲作り、軽快なブギ・ギターなどで知られる、50年代のシカゴで活躍したブルースマン。JOB、パロット、チェス等、多くのレーベルに録音。ほかのブルース歌手に真似できない世界を作った。ミシシッピの出身で、ギターを覚えたのは幼少の頃。父親からブラインド・レモン・ジェファスンらのブルースに習った。昼間、畑仕事をした後、熱心に練習。10代で故郷を抜け出しニューオリンズに。44年にはランパート通りでサニー・ボーイ・ウィリアムスンIIエルモア・ジェイムスと共演していた。夢を抱いてシカゴに移住したのが、49年。精肉工場で働きながらクラブで活動を始め、ビッグ・ビル・ブルーンジーメンフィス・ミニーらと同じステージにも立った。ルノアーはすぐに評判になり、1951年にはサニーランド・スリム、リロイ・フォスター、アルフレッド・ウォーレスという陣容でレコーディングを果たす。それら4曲はチェスで発売された。54年の「アイゼンハワー・ブルース」では、社会批判を展開し、物議を醸した。大統領を誹謗したとして、政府から発禁処分を受けてしまったのである(後に歌詞を変え「タックス・ペイイング・ブルース」として再発)。ルノアーは時事問題を積極的にブルースにして歌い続けた。60年にはヴィー・ジェイへレコーディング。60年代半ば、亡くなる間際のレコーディングをプロデュースしたのは、ドイツ人のホルスト・リップマンだ。人種差別問題を取り上げた「ボーン・デッド」、ベトナム戦争を題材にした「ベトナム・ブルース」など、アメリカでは誰も発売したがらなかったパワフルな楽曲を、ヨーロッパで歌い、録音した。

Recordings

1950, Chicago, Illinois
  • In The Evening
  • Please Don't Go Away
circa January, 1951, Chicago, Illinois
October 22, 1951, Chicago, Illinois
circa October, 1952, Chicago, Illinois
January 12, 1953, Chicago, Illinois
October 6, 1954, Chicago, Illinois
March 14, 1955, Chicago, Illinois
September 14, 1955, Chicago, Illinois
December 19, 1956, Chicago, Illinois
circa March, 1958, Chicago, Illinois
August 11, 1958, New York, New York
May 10, 1960, Chicago, Illinois
July 17, 1960, Chicago, Illinois
Autumn, 1962, Chicago, Illinois
July 9, 1963, Nina's Lounge, Chicago, Illinois
July 23, 1963, Chicago, Illinois
1965, Chicago, Illinois
May 5, 1965, Chicago, Illinois
May 5, 1965, Chicago, Illinois
October 8, 1965, American Folk Blues Festival, Hamburg, Germany
  • Slow Down (Woman)
  • If I Get Lucky
  • Everybody Crying About Vietnam
  • I Feel So Good
  • Down In Mississippi
1965
September 2, 1966, Chicago, Illinois