サニー・ボーイ・ウィリアムスンI

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経歴・特徴

本名ジョン・リー・ウィリアムスン。「自分こそが唯一のサニー・ボーイだ」と死ぬまで言い張っていたライス・ミラー(サニー・ボーイ・ウィリアムスンII)との混同を避けるため、サニー・ボーイ・ウィリアムスンIと呼ばれる。1948年にシカゴの路上で刺殺されてしまったが、戦前最も尊敬されていたブルース・ハーピストで、彼のスラーのかかった、思い切りの良いスタイルは、電気で増幅したハーモニカを吹いたリトル・ウォルターらに引き継がれ、エレクトリック・シカゴ・ブルースの時代に花を咲かせたのだった。ウィリアムスンはブルーバードからヒットを連発した非凡なソングライターで、舌足らずな感じのヴォーカリストでもあった。

子供のころ同じテネシー州の生まれだったハミー・ニクスンやスリーピー・ジョン・エスティスらと交流し、基本を習得。1937年5月に、ビッグ・ジョー・ウィリアムスとロバート・リー・マッコイ(ロバート・ナイトホーク)をバックに最初のレコーディング。そのセッションで、様々な人にコピーされた有名曲「グッド・モーニング・スクール・ガール」が生まれた。その後10年間、シカゴでも指折りのミュージシャンとして、ビッグ・ジョー・ウィリアムス、ビッグ・ビル・ブルーンジー、エディ・ボイドらと共演。しかしマディ・ウォーターズがエレクトリック・ブルース革命を果たそうとしていた矢先の1948年6月1日午前に、ウィリアムスンはプランテーション・クラブから家に帰る途中、暴漢に襲われ、殺害された。