J.B.ルノアー

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経歴・特徴

ピッチの高いヴォーカル、ユニークな曲作り、軽快なブギ・ギターなどで知られる、50年代のシカゴで活躍したブルースマン。JOB、パロット、チェス等、多くのレーベルに録音。ほかのブルース歌手に真似できない世界を作った。ミシシッピの出身で、ギターを覚えたのは幼少の頃。父親からブラインド・レモン・ジェファスンらのブルースに習った。昼間、畑仕事をした後、熱心に練習。10代で故郷を抜け出しニューオリンズに。44年にはランパート通りでサニー・ボーイ・ウィリアムスンIIエルモア・ジェイムスと共演していた。夢を抱いてシカゴに移住したのが、49年。精肉工場で働きながらクラブで活動を始め、ビッグ・ビル・ブルーンジーメンフィス・ミニーらと同じステージにも立った。ルノアーはすぐに評判になり、1951年にはサニーランド・スリム、リロイ・フォスター、アルフレッド・ウォーレスという陣容でレコーディングを果たす。それら4曲はチェスで発売された。54年の「アイゼンハワー・ブルース」では、社会批判を展開し、物議を醸した。大統領を誹謗したとして、政府から発禁処分を受けてしまったのである(後に歌詞を変え「タックス・ペイイング・ブルース」として再発)。ルノアーは時事問題を積極的にブルースにして歌い続けた。60年にはヴィー・ジェイへレコーディング。60年代半ば、亡くなる間際のレコーディングをプロデュースしたのは、ドイツ人のホルスト・リップマンだ。人種差別問題を取り上げた「ボーン・デッド」、ベトナム戦争を題材にした「ベトナム・ブルース」など、アメリカでは誰も発売したがらなかったパワフルな楽曲を、ヨーロッパで歌い、録音した。