クラレンス“ゲイトマウス”ブラウン

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経歴・特徴

多くの楽器をこなすゲイトマウス・ブラウンは、一般にテキサス・ブルースの最も影響力の大きなプレイヤーとして知られているのだが、本人は、ブルースマンと呼ばれることを極端に嫌った。彼の興味はアメリカの、全ての音楽をミックスし、テキサス・スタイルでプレイする事にあったからだ。

ブラウンはテキサス州オレンジで育ち、カントリー、ケイジャン、そしてブルーグラスを演奏する父親の真似をしながら音楽を覚えた。後にカウント・ベイシー、デューク・エリントンなど、ジャズの影響も受けている。1947年、黒人実業家のドン・ロビーが経営していたヒューストンのブロンズ・ピーコック・クラブでTボーン・ウォーカーが体調不良のため楽屋にさがった時、ゲイトが代わりにステージに上り、ウォーカーのギターを持って即興でブギを演奏。これが馬鹿受けしたので、ロビーはすぐゲイトのマネージャーとなってアラジンに初録音させた。アラジンに不満を感じたロビーは1949年、自らピーコック・レーベルを設立し、ブラウンのレコードを制作。アルバート・コリンズ、ジョニー・コープランド、ジョニー・ギター・ワトソン、といったテキサス出身のギタリスト達が、この時代のゲイトの攻撃的なギターから多大な影響を受けている。

ゲイトは60年までピーコックに録音を続け、1954年の有名な「Okie Dokie Stomp」など炎のインスト、「Dirty Work at the Crossroads」などのスロー・ブルースを発表。「Just Before Dawn」ではヴァイオリンを披露した。60年代にはレコーディングに恵まれなかったが、66年にダラスで制作された伝説的なTV番組『ザ・ビート』のバックバンドを率い、70年代になると、ブルースに限らず、カントリーからジャズ、カリプソまでを演奏し、ヴァイオリンもバリバリ弾いた。79年にカントリーのロイ・クラークとの共演アルバムも発表。80年代に入ってから、ゲイトマウス・ブラウンの人気は高まり、ラウンダー、アリゲーターから上質なアルバムを立て続けに出した。

外部リンク

Clarence "Gatemouth" Brown - I've Got My Mojo Working (From "Blues at Montreux 2004")

YouTube動画。Eagle Rock Entertainment が配信。カルロス・サンタナが音楽監督を務めた2004年のモントルー・フェスティヴァル(『サンタナ/プレイズ・ブルース・アット・モントルー』のタイトルで国内盤ブルーレイ・ディスクも出ている)でのライヴ映像から。