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エルヴィス・プレスリーを発見した事で知られるサン・レコードは、アラバマ州出身の元ディスク・ジョッキー、サム・フィリップスが1952年に設立したメンフィスのレーベル。

フィリップスは1950年にメンフィス・レコーディング・サーヴィスを開業し、結婚式や贈り物用のレコード制作を始めた。その一方で、彼は地元メンフィスの優れた黒人ミュージシャンのレコーディングも手がけ、ボビー・ブランドハウリン・ウルフB.B.キング、ウォルター・ホートン、ジャッキー・ブレンストン(彼の1951年のヒット、「Rocket 88」は最初のロックンロール・レコードと言われている)といったブルース・アーティストの音源をシカゴのチェスやロサンゼルスのモダン、RPMといったレーベルに提供するようになった。

やがてサム・フィリップスは自前のレーベル、サン・レコードを設立。ルーファス・トーマスの1953年の「Bear Cat」(ビッグ・ママ・ソーントンの「Hound Dog」へのアンサー・ソング)がレーベル初の全国的ヒットとなった。以後もジュニア・パーカー、リトル・ミルトン、プリズナーズ等、良質の黒人向けレコードを出し続けたサン。しかし大きな転機が訪れようとしていた。

1953年、エルヴィス・プレスリーという白人の若者がメンフィス・レコーディング・サーヴィスにやってきて、母親にプレゼントしようと、個人的にレコードを作った。8ヵ月経って、フィリップスはプレスリーを売り出してみようと考えたのだ。1954年6月、フィリップスはプレスリーに初のシングル「That's All Right」を吹きこませ、同年7月、サン・レーベルからリリース。

そのあとさらに4枚のシングルを吹き込んだプレスリーは「Baby Let's Play House」で初のチャート入りを果たす。1956年、フィリップスはプレスリーの契約とすべての歌の権利を、3万5000ドル、プラス、プレスリーの借金5000ドルという額で売り、プレスリーはメジャーのRCAに移籍することとなった。そしてかつてないほどのスターとなった。

プレスリーが去ってから、フィリップスはジェリー・リー・ルイス、カール・パーキンス、ジョニー・キャッシュ、チャーリー・リッチ、ロイ・オービソンを次々と発掘し、サンに連れてきた。

「Blue Suede Shoes」「I Walk The Line」「Great Balls Of Fire」「Ooby Dooby」といったレコードを出したサンは、ロックンロールの源流となったが、歌手たちは一人ずつフィリップスのもとを去って、大きなレーベルに移っていった。60年代まで続けたものの、独立レーベルのサンは、メジャー系レーベルとの競争の中で生き残りに苦労した。

早くからホリデイ・イン・チェーンに投資し、多方面のビジネスに従事していたフィリップスは、1969年にレーベルをシェルビー・シングルトンに売った。